ニコ実況流しながら見るのが楽しみ
猪木アリ戦はヤオ(八百長)かガチ(真剣勝負)か
かのミスター高橋本発売後のこの世界でもいまだにヤオガチ論が語られるまさしく世紀の一戦、
最初からガチだった
最初はヤオのはずだったけどガチになった
最初から最後までヤオだった
そもそもどこまでがヤオなのか、試合結果が決まってさえいなければガチなのか、
演舞とヤオの差はどこにあるのか
色んな見方があると思うけどこれだけははっきりと言える
アントニオ猪木がプロレスに強烈な説得力をもたせようとした結果が、あの猪木アリ状態だったのだと
サイエンスフィクションが科学考証に、
ガルパンが軍事考証に、
サメ映画が生物学考証に説得力を求めるように、
プロレスもまた、ショーでありながら格闘技としての説得力を求めるものです
昔から、それこそ力道山時代からプロレス外で実績のある武道家(木村政彦とか)をリングに上げたりしてたのはそういう意味合いがあったんだと思います
つまり、最初から説得力のある相手と戦うことで、プロレスにも説得力を持たせていたと
しかし猪木アリ戦がそれまでの異種格闘技戦風プロレスと明らかに違ったのは、
アントニオ猪木自身の戦い方に説得力を持たせていたこと
これに尽きるのだと思います
Wikipediaによれば、猪木アリ状態は伝統派空手でしばしば見られる、的なことが書かれていますが、
実際にかじってた自分からすると少々疑問
なぜなら伝統派空手ではルールの関係上、倒れた相手に技ありなり一本なりがとれるのは下段「突き」のみで、
守るほうも猪木アリ的な形ではなく上から突きにくる相手を下から蹴り上げる形になるので、
積極的に攻めにいく体勢ではないのです
アントニオ猪木のそれは事前に決まったルールの中での必然から生まれたとも書かれていますが、
普通に考えたら一応レスラーなのだから、あのルールでならタックルでもいいはずです
しかし、果たしてモハメドアリはタックルがキメられる相手であるのか
ヤオなのかガチなのか、この場合はっきり言ってどっちでもいいのです
プロレスラーが最強のプロボクサーを相手に15ラウンドを生き残れる手段を発明したことによって、プロレスに説得力がもたらされた
目的は完全に果たされ、新日本プロレスを中心にリアリティーを伴ったファイトスタイルがプロレスの文化に加わっていったのです
一方、ジャイアント馬場はラジャライオン戦で、
異種格闘技戦という大風呂敷でヤオガチ論者を釣りつつ、
ド素人が相手でもプロレスラーが料理すればプロレスが成立するという超ウルトラCをかました
後に、パイプ椅子や透明人間を相手にプロレスをするという試合形式のルーツのひとつがこれだと思っています
ヤオかガチか
プロレスはそんな二元論では語れない